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猫と相撲と文房具(ときどき野球)。猫町フミヲの妄想の日々。


by nekomachi_fumiwo
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インフルエンザ回顧録。

食後にせんべいを食べたりもできるようになった今あらためて振り返ると、今回のインフルエンザは神様の「はいはい、ストップ。そこまでそこまで」みたいなことだったのではないかと思う。
考えごとなどまずできない状態にしてしまえば、思考も停止すると考えたのかもしれない。
凄絶な「はいはい、ストップ」だったが。



インフルエンザにもいろいろあるのだろうが、今回のインフルエンザのはじまりは突発的な吐き気だった。
明け方にぱちりと目が覚め、ふとんの中でぼんやり考えごとをしていると、体が吐きたがっていることに気づいた。
気のせいだろうとしばらく目を閉じたりしていたが、ごまかしのようない強い不快感が襲ってきて、トイレに行くなり猛烈に吐いた。

最初は食中毒を疑った。
自分で作った何かに当たったのだろうと思ったのだ。
とりあえずほんの少し続きを寝て、起きるなりネットであれこれ調べた。
食中毒かも知れないし、ノロかもしれない。
嫌な悪寒もあったが、とりあえず仕事へ。

今回のインフルエンザの山場がいくつかあるとしたら、まず一つ目は出勤してから早退するまでの2時間あまりだったと思う。
とにかく寒い。
そして背中と腰がむちゃくちゃ痛い。
まっすぐ立っていられないのだ。
あまりの痛さに下半身をくねくねさせながらやりすごす。
そんな日に限って客注品が大量に入荷する。
朦朧としはじめる頭を何度も振って客注処理をする。

最初は夕方くらいまで我慢するつもりだったが、早いうちに無理だと悟った。
そしてはっきりと訴えないと、職場の人に体調不良に気づかれないことも長年の経験から分かっていた。
「君、ポーカーフェイスだから全然分かんないんだもん」と言われたのはいつの職場だったか。
とにかく、ポーカーフェイス→いきなり気絶、のパタンだ。
まだ緊張しながらしか話せない先輩に症状を訴え、早退が認められる。

が、ここからが長い。
キングジムのファイルが、コクヨのファイルが、エーワンのラベルが…処理しても処理してもなんでこんなに客注品が多いのか。
レジで接客すればまた客注を受ける。
電話に出ればまた客注になってしまう。
まさに歯をくいしばりながら、伝票を書き、発注書を書き、パソコンで納期を確認し、その途中でお客さんに呼び止められ…

しまいには勝手にエプロンを脱ぎ捨てていた。
もう人と話すこと自体無理だったからだ。
社長が近所の病院を検索し、地図までプリントアウトしてくれる。
お礼を言い、皆に頭を下げ、早退。

しかし試練はこれからだった。
保険証を持っていなかった。
まだ保険証を作っていなかったのだ。
すっとこどっこいな前の会社のミスで、つい二日ほど前にようやく離職票が届いたところだった。
保険証の発行には時間がかかると前に区役所に言われたことを思い出す。
社長に調べてもらった近所の病院に電話をかけ、保険証がなくてもいいかと聞いてみたら答えは「NO」。
ちょうど月末が近く、今月中に保険証を作らないと自費で負担した分は返って来ないと言われてしまう。
おお…

ここからが二つ目の山場だった。
とにかくお金をおろすため、ほうほうのていで郵便局へ。
そこの公衆電話から、区役所に保険証の即日発行を求める電話をかける。
意識はすでに混濁しており、自分の区ではなく、うさむしの住んでいる区の区役所の電話番号を電話帳から探そうとしていた。
公衆電話に突っ伏すようにして電話。
今の住所に郵送されてきた郵便物を持っていけばすぐに発行してくれるとか。

良く晴れた、しかし寒い歩道をよろよろと歩きながら、友達に自宅付近の病院を調べてもらうようにメールする。
何しろ引っ越して来てから病院に行くのは初めてだった。
時刻はすでに11時半になろうとしている。
はたして保険証を区役所で発行してもらった後、診てくれる病院なんてあるのだろうか。
てゆうか、なんでこんなに背中が痛いんだろう。
そしてなんて眠いのだろうか。
ほとんど目を開けていられなかった。

もつれる足で帰宅。
尋常じゃない寒さだった。
区役所に持ってくるように言われた書類をかき集める。
郵便物もかき集める。
DMには消印が押されておらず、採用されなかったら大変なので、消印が押された封書も数点かき集める。
かき集めながら体温計を脇にはさんでみると、38.5℃。
これは…

いまだかつてこんなにも体調不良な状態で自転車に乗ったことがあったであろうか。
酒気帯びなんかよりもはるかにはるかに危険なことのように思えたが、しかたがなかった。
うめきながら区役所を目指す。
保険の窓口で事情を説明、手続き。
手続きに必要だった郵便物は結局消印のあるものが採用された。
うさむしからの「@@(本名)ふ〜みん様」という宛名で届いたキキとララの封筒は、消印があったにもかかわらず採用されなかった。
保険料や年金のこと、今後の支払い方法、減免の手続きなどいろいろ言われたが、何一つ頭に入らず。
目の前に職員がいるときだけ頭を上げ、それ以外はほとんどカウンタに突っ伏していたからだ。
すべての処理がいつ終わったのかも分からなかった。
できあがった保険証を握りしめ、病院に向かう。

病院は友達がメールで教えてくれた。
電話をして、13時から診てくれることだけ確認し、あとは勘で自転車をこいだ。
夢で見た場所に行き着くみたいに、イメージしたところに病院があり、待合室で待たせてもらう。
待合室ではとにかく眠った。
自分の鞄に額を押し付けるようにして、くうくうと眠った。
診察券をつくるために住所等を書かされる。
先ほどの区役所でもそうだったが、高熱でふらふらしていてもいつもの字が書けるのはあきれるほどだった。
モイキなことに、こんなときでさえ自分の字を書くために愛用のジェットストリームを鞄にしのばせているあたり…

待合室で測った熱も当然高く、看護師さんから「熱が高いときはマスクを」とやんわり注意される。
熱が高いこともつい先ほど知ったし、と思いつつ、マスクをもらい、待合室で寝たり起きたりを繰り返す。
待合室には女優のように美しい女医の大きな写真が飾られており、もしやこの病院の院長は女性なのか、今から診てくれる人がこの写真の人なのか、などと考えつつまどろむ。

はたしてドクターは、あの写真から十数年を経た貫禄たっぷりの女性だった。
てきぱきと診察し、看護師に指示を出し、様々の検査をし、その結果、陰性ではあるがインフルエンザであると診断された。
普段は疑問に思ったことは質問せずにはいられない私だが、女医のばきっとしたややハードな感じに圧倒され、ついに「食中毒ではないのですか」と聞けなかった。
もう言葉を発する力も限りなくゼロに近かったのだ。

近所の薬局から薬を届けにくる薬剤師を待つ間もずっと待合室で眠り続けた。
ずいぶん待って薬剤師が到着する。
薬の説明を受ける。
これが噂のタミフルか。
今からまず何かをおなかに入れて…ああ、なんか買って帰らなきゃ。
再び寒風の中、うなりながら自転車をこいで家路を急ぐ。

近所の100均で、風邪になったときに必要な食糧をあれこれ買う。
バナナやリンゴやスポーツドリンクや水やシュークリームや菓子パン、とりわけクリームパンを。
これはうさむしのおじいさま(故人)が病床についておられたとき、クリームパンで命をつないでいたというエピソードを強く記憶していたからである。
が、こういうときに人の祖父のエピソードを思い出す私はやはりモイキということになるらしい。

むりやりクリームパンをかじり、タミフルを飲んでとにかく布団にもぐりこむ。
がたがたと寒い。
うさむしが何かを持ってきてくれるらしいことになった。
おかゆを頼む。
少し眠ってうさむしが来て、それから本格的に眠った。

この最初の日の夜が三つ目の山場であったろう。
眠り始めはよかったのだ。
少しでも食べられたし、薬も飲めたし。
が、タミフル以外に処方された薬がいけなかった。
粉を水に溶かして飲むシロップで、飲めば一週間効き目があるらしく、一本しか処方されなかった。
空腹のときに飲まないといけない薬とかで、真面目な私は食後2時間にその薬を飲み、また2時間眠ったのだった。

が、やはり相当体のほうがまいっていたのだろう。
目が覚めて猛烈な吐き気に襲われた私はあろうことかその貴重な薬を吐いてしまう。
ありがたい薬がーーーと思いつつも、吐き気がもうとまらない。
そしてびっくりするほどの冷や汗。
普段の風邪のときにかく汗とは違った感じで、うまく言えないが、汗かいて熱下げて、という正しい感じがまったくなく、ただただ額にびっしりと汗をかいた。
そして吐いた後は体の震えがとまらなかった。

このときどうしようもなくつらかったのは、ハナヲのエサの用意をすることだった。
こんなに簡単なことが、どうしてできないのか。
キッチンスケールの電源を入れる。
エサの容器をキッチンスケールに載せる。
戸棚の扉をあける。
エサを取り出す。
エサを容器に移す。
重さを見ながら決まった分量をハナヲにあげる。
これができないのだ。
一つ一つの動作のたびにふらつく。
ぶつかり、よろめく。
がっくしと膝をついて、はあはあと荒く息をする。
うさむしが、「なんかできることない?」みたいにメールで言ってくれていた「なんか」って、まさにこういうことだったんじゃ…と思いながら、一つ一つの動作に米俵でも放り投げる勢いをつけてやっとハナヲにエサを。

再び眠る。
空腹。
何かを口に入れる。
また吐く。
これを繰り返す。

気づけば頭が冷たかった。
額の汗がそのまま冷たくなっていたのだ。
タオルでぬぐう。
寒いからと厚着したまま布団に入っていたせいで、服も大変なことになっていた。
いったん裸になって汗をぬぐうが、びっくりするほどの汗。
そしてこの汗をぬぐうあいだも意識は混濁し続け、半裸で布団の上にひっくり返って眠ってしまうなど、明らかに間違ったことを繰り返す。

この間、大量の夢を見た。
妹と京都をバス(路面電車?)旅行する夢。
母親と滋賀(?)の温泉宿に宿泊する夢。
明らかに何かの境界らしき、あやしいトンネルを抜けようとする夢。
そのトンネルは抜けられないようになっており、その門番らしき人物に大声で怒鳴られ、それでも私はくぐったのだったか。
トンネルを抜けた先には、ねじれた木の幹が集まったものでできたゴミ処理場が。
そして同形態をした図書館が。
死体もたくさん見た。
ちぎれた死体や凍った死体。
雪原を私は父親と車で走っていた…

二日目は少し食べられるようになったが、吐き気は続いていた。
食事のとき以外ずっと寝ていた。
三日目もほとんど寝ていた。
熱が下がってからも寝汗がひどかった。

四日目は月曜日で、仕事は休ませてもらった。
何気なく敷ぶとんをめくってみて驚愕。
これはいったい…
大変なことになっていた。
敷ぶとん、その下のカーペット、さらにその下の床、べたべたでどろどろだった。
まだ寝ていたかったが、そういうわけにもいかなくなった。
敷ぶとんはシーツをはがし、カーペットも床からはがして屋上へ。
一日に何度も屋上へ上がり、布団やカーペットを裏返し続けた。

今回のインフルエンザにおいて、もちろんごっそりと多くを持っていかれたことは言うまでもない。
年明けからの異常食欲でたくわえたなけなしの脂肪もはいさようなら。
絶対にやせることがないはずのふくらはぎまでほっそりとなり(が、メジャーで測ってみると、たったの1センチ減じただけだった)、最後にやせるのはここかと分かった。

うさむしによれば、結局のところ私に必要なのはマックのポテトとコーラ、ベビースターラーメンであり、要は小太りになれば風邪もひかないし、ウイルスも寄せ付けないらしい。
職場では確かに風邪がはやっており、私と同じ日にアルバイトの仲間が休み、私が復活してからも一人ダウンし、といろいろあったが、インフルエンザになったのは私一人だけであった。
インフルエンザ回顧録。_b0070470_0105193.jpg
by nekomachi_fumiwo | 2010-03-02 23:52 | 日記