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猫と相撲と文房具(ときどき野球)。猫町フミヲの妄想の日々。


by nekomachi_fumiwo
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筋肉少女帯『新人』。

今日は野球がなくてほっとしている。
あんな調子で毎日やられたら、身が持ちません。

さて、2週間後の今日は筋肉少女帯のライブである。
今年の3月に生まれて初めて筋肉少女帯のライブに行き、ライブには爆発的な体力がいることが分かったのだが、あれから特に何もしていない。
もみくちゃにされ、突き飛ばされ、あざになるほど腰をしたたか打ち、今度のライブまでには走り込みや筋トレ等で頑丈な体になっておこうと強く強く心に誓ったのだが、見事に何もしていない。
頑丈になるどころか、連日の野球観戦と職場でのあれこれで燃えかすのようである。
始まる数時間前に@ンケルでも飲むしかない。

そのライブためのアルバム『新人』を先日買った。
私が筋少に出会ったときにはすでに活動を休止していたので、紆余曲折ののち再び結成され、こうして新譜が買えるようになっただけでもめちゃくちゃ幸せだ。
たとえそれがCDショップで「さし1*」の扱いであったとしても。

『新人』は聴けば聴くほど、バランスのとれたアルバムである。
橘高氏と本城氏の曲がいい感じに並んでいるのが、非常にうれしい。
両者の良さがとても生かされていて、これは橘高、これは本城、とぱーんと分かれてしまっていびつになるんじゃなくて、少なくともこのアルバムの中ではまるっと収まっている。
「交渉人とロザリア」と「愛を撃ち殺せ!」のつながりは、聴けば聴くほど腑に落ちるというか、私は好きです。

大槻ケンヂの詩も相変わらずよくて、これは意外というか、ああ、この人の詩世界は本当に不変なんだなとちょっと怖くなった。
てっきりにこにこしたような詩になってるんじゃないかと思ったし、それでもいいんじゃないかと思っていたから。
ソロとか別のバンドとかで微妙に詩世界が変わったはずなのに、今までの筋少の世界観そのものみたいな作品(「トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く」とか「ヘドバン発電所」)を書けるのは本当にすごい。
特に「トリフィド〜」の詩は大槻ケンヂにしか書けないと思う。

筋肉少女帯は大槻ケンヂの言葉の才能と、橘高氏をはじめとする最高クラスの音楽の才能とが出会った本当に贅沢なバンドだと思う。
どっちかだけでもすごいんだろうけど、どっちかだけならやっぱり全然だめで、例えば本を読む私はエッセイから大槻ケンヂに出会えたけど、音楽をほとんど聴かない私は橘高氏がヘビメタの世界だけでがんがんやっていたら、たぶん出会えなかった。

あと、このアルバムには「イワンのばか'07」と「モーレツア太郎'07」が入っていて、どちらもすごく良い。
特に後者。

『新人』を聴いていたら、筋少のライブビデオが見たくなって、誕生日に兄にもらってまだ見ていなかった『月光蟲TOUR』のDVDを見る。
『月光蟲』というアルバムはまた書き出したら止まらないくらいに素晴らしいアルバムで、このDVDはその中でも私がもっとも好きな曲、「少年、グリグリメガネを拾う」から始まるのだが、見始めるとすっかり『月光蟲』のことで頭がいっぱいになり、結局『月光蟲』を最初から聴き始めるはめになった。
『月光蟲』はすごい。
あの頃(1990年)ちゃんと筋少に出会えていたらよかったけど、でも大回りしてでもちゃんと出会えて本当によかった。

ああ、ライブ!
ああ、ヘドバン!

*書店用語(たぶん)。
新刊等が出たときに、平積みしたり、面出し(表紙を見せる陳列方法)したりせずに、普通に棚に1冊だけ置くこと。
どんなにマニアックな専門書の新刊でも、よほど高額でない限り最低2冊は仕入れ、「さし2」にして売るようにしていたが、新刊案内さえくれない本当に地味な出版社からはそっと1冊だけ本が入荷することがあり、そんなときは仕方なく「さし1」となる。
たとえ新刊棚に置いても、「さし1」だとぱっと見どの本が新刊なのか分からないので、たいてい売れない。
新刊棚に置いてもぱっとしないので、元棚(本の内容に見合ったいずれ収まるべき棚の場所)に置くと、ますます棚と同化してしまいいよいよ売れない。
by nekomachi_fumiwo | 2007-09-11 00:10 | 日記