卯月、新月、月猫ブルー。
2007年 04月 17日
再びこのカテゴリで物が言えるようになったことをうれしく思います。
『月猫ブルー』のことを書きます。
本来なら2006年4月20日に発売される予定だった私の詩集『月猫ブルー』は、2006年の3月末に出版社が倒産したことによって未刊となりました。
倒産後は債権者説明会の連絡や、破産管財人からの連絡があっただけで、ついに担当編集者からの連絡は一度もありませんでした。
原稿さえも出版社からは戻って来なかったのです。
だけどもしかして詩集はすでに印刷されているのではないか。
私はあきらめきれませんでした。
躍起になって調べ、その出版社と取引のある印刷所をいくつか突き止めました。
そしてその一つ一つに電話をして、『月猫ブルー』という詩集を印刷しませんでしたか、と聞いて回ったのです。
それは胸のつぶれるような作業でした。
何軒目かで印刷したところが見つかりました。
私の詩集は全ページ印刷されていたそうです。
ただし、製本される直前に出版社が倒産したので、製本されないままそれらは倉庫の隅にひっそりと積まれていたそうです。
電話で対応してくれた人は、許可が出るまではそれらにさわらないよう上司から言われていること、したがってそれらを送ったりすることはできないこと、しかしこっそり版下といわれる原本は送ってあげられそうだということ、データは印刷した直後に出版社に返してしまったので紙ベースでの原本しかないことなどを説明してくれました。
私の手元にあるのはその人が送ってくれた紙ベースの原稿だけです。
あの騒動については、今でも努めて冷静にならなければ到底平常心を保つことの難しいものです。
出版社と連絡がとれなくなった数日間のあの不安の中で、ネットで情報を探る私の目に飛び込んで来たのは、そもそも自費出版しようとする人間が悪い、自業自得であるという論調の誹謗中傷でした。
おそらく悪意はなかったのでしょうが、この騒動を知った身近な人の中には、本当にそんなのでうまくいくと思っていたのか、でもあなたは書店員だから覚悟はできているでしょう、などと言う人もいて、そのいちいちを軽くいなせるほど私は強くありませんでした。
あの騒動が起きたとき、友達の一人はいち早く、「だけどこれで『月猫』を封印したり、詩を書くのをやめたりするのはなしだよ」と釘をさすメールをよこしました。
何もかもお見通しでした。
私は猫町フミヲをやめてしまおうと思っていました。
そのほうがずっと楽だったのです。
猫町フミヲのままでいるのはあまりにもつらすぎました。
私は多くを持って行かれました。
失った最たる物はお金でしたが(それは幼い頃から本を作ることを夢見てこつこつと貯金した、小銭から出発したまさに大金でした)、私が本当に失ったものは自分自身でした。
あれ以来、私は自分の密度が半分以下になってしまったことを知っています。
太陽の下でくっきりできるはずの私の影は、今は半分くらいの濃さしかありません。
私は私を持って行かれてしまいました。
それは本当に自分ではどうすることもできないことでした。
何度も奮起しようとしました。
でもできませんでした。
私の詩を気に入ってくれていた人は、私がつまらない文章ばかり書いていることにがっかりしているだろうか、いや、誰もそんなことは思っていないだろう、あんなことがあったのに私はなんて自意識過剰で嫌な奴なんだろう。
書こうとすることは、そういうことを突きつけられることでもありました。
私が今回このように『月猫ブルー』のことを言い出したのは、再び詩を書き始めたからでも、自分自身の影が濃くなって来たからでもありません。
そういう劇的なことはいっさいありません。
私の密度は薄いままで、猫町フミヲは死んだままです。
ただ、時間が流れました。
私は『月猫ブルー』を形にして放り出してしまいたい。
そうすることで、もう一回、言葉と向き合っていきたいのです。
運のないみじめでかわいそうな人としてではなく。
私の手元にある版下をコピーして、簡易な詩集を作ります。
もし、読んでやってもいいよ、という方がおられましたら、お送りします。
実はこれまでにも、版下を使って簡易詩集を作ろうとしたことがありました。
版下と呼ばれるものには、ページを印刷した日時やおそらくは紙を裁断するときの目印が左右上下に入っていて、私はそれらを一枚一枚修正テープで消しつぶしていかねばなりませんでした。
その作業のあまりのはてしなさとむなしさに耐えきれなくなり、そもそもこんなに手間ひまかけて誰か読みたい人がいるのだろうかと考えると、作業する手も止まってしまうのでした。
だけど、もういいのです。
読みたいという人がいれば、喜んで最後まで修正テープで消して詩集の体裁をととのえます。
読みたいという人がいなければ、会社にある巨大シュレッダーに投じます。
原稿はちょうど会社のロッカーの中で眠っているからです。
長々と書いてしまいました。
本当はこういう泣き言のようなことは書きたくなかったのですが、これきりにしますのでどうか寛大な心でお許しください。
たったこれだけのことを言うのに、何百日もかかってしまいました。
なお、詩集はまさかこんな重い展開になるとは思わずに書き上げたものですので、拍子抜けするくらいにただの恋の詩集です。
興味のない方は後生ですので軽く流してやってください。
明日からはまたいつもの「水面歩行」です。
『月猫ブルー』のことを書きます。
本来なら2006年4月20日に発売される予定だった私の詩集『月猫ブルー』は、2006年の3月末に出版社が倒産したことによって未刊となりました。
倒産後は債権者説明会の連絡や、破産管財人からの連絡があっただけで、ついに担当編集者からの連絡は一度もありませんでした。
原稿さえも出版社からは戻って来なかったのです。
だけどもしかして詩集はすでに印刷されているのではないか。
私はあきらめきれませんでした。
躍起になって調べ、その出版社と取引のある印刷所をいくつか突き止めました。
そしてその一つ一つに電話をして、『月猫ブルー』という詩集を印刷しませんでしたか、と聞いて回ったのです。
それは胸のつぶれるような作業でした。
何軒目かで印刷したところが見つかりました。
私の詩集は全ページ印刷されていたそうです。
ただし、製本される直前に出版社が倒産したので、製本されないままそれらは倉庫の隅にひっそりと積まれていたそうです。
電話で対応してくれた人は、許可が出るまではそれらにさわらないよう上司から言われていること、したがってそれらを送ったりすることはできないこと、しかしこっそり版下といわれる原本は送ってあげられそうだということ、データは印刷した直後に出版社に返してしまったので紙ベースでの原本しかないことなどを説明してくれました。
私の手元にあるのはその人が送ってくれた紙ベースの原稿だけです。
あの騒動については、今でも努めて冷静にならなければ到底平常心を保つことの難しいものです。
出版社と連絡がとれなくなった数日間のあの不安の中で、ネットで情報を探る私の目に飛び込んで来たのは、そもそも自費出版しようとする人間が悪い、自業自得であるという論調の誹謗中傷でした。
おそらく悪意はなかったのでしょうが、この騒動を知った身近な人の中には、本当にそんなのでうまくいくと思っていたのか、でもあなたは書店員だから覚悟はできているでしょう、などと言う人もいて、そのいちいちを軽くいなせるほど私は強くありませんでした。
あの騒動が起きたとき、友達の一人はいち早く、「だけどこれで『月猫』を封印したり、詩を書くのをやめたりするのはなしだよ」と釘をさすメールをよこしました。
何もかもお見通しでした。
私は猫町フミヲをやめてしまおうと思っていました。
そのほうがずっと楽だったのです。
猫町フミヲのままでいるのはあまりにもつらすぎました。
私は多くを持って行かれました。
失った最たる物はお金でしたが(それは幼い頃から本を作ることを夢見てこつこつと貯金した、小銭から出発したまさに大金でした)、私が本当に失ったものは自分自身でした。
あれ以来、私は自分の密度が半分以下になってしまったことを知っています。
太陽の下でくっきりできるはずの私の影は、今は半分くらいの濃さしかありません。
私は私を持って行かれてしまいました。
それは本当に自分ではどうすることもできないことでした。
何度も奮起しようとしました。
でもできませんでした。
私の詩を気に入ってくれていた人は、私がつまらない文章ばかり書いていることにがっかりしているだろうか、いや、誰もそんなことは思っていないだろう、あんなことがあったのに私はなんて自意識過剰で嫌な奴なんだろう。
書こうとすることは、そういうことを突きつけられることでもありました。
私が今回このように『月猫ブルー』のことを言い出したのは、再び詩を書き始めたからでも、自分自身の影が濃くなって来たからでもありません。
そういう劇的なことはいっさいありません。
私の密度は薄いままで、猫町フミヲは死んだままです。
ただ、時間が流れました。
私は『月猫ブルー』を形にして放り出してしまいたい。
そうすることで、もう一回、言葉と向き合っていきたいのです。
運のないみじめでかわいそうな人としてではなく。
私の手元にある版下をコピーして、簡易な詩集を作ります。
もし、読んでやってもいいよ、という方がおられましたら、お送りします。
実はこれまでにも、版下を使って簡易詩集を作ろうとしたことがありました。
版下と呼ばれるものには、ページを印刷した日時やおそらくは紙を裁断するときの目印が左右上下に入っていて、私はそれらを一枚一枚修正テープで消しつぶしていかねばなりませんでした。
その作業のあまりのはてしなさとむなしさに耐えきれなくなり、そもそもこんなに手間ひまかけて誰か読みたい人がいるのだろうかと考えると、作業する手も止まってしまうのでした。
だけど、もういいのです。
読みたいという人がいれば、喜んで最後まで修正テープで消して詩集の体裁をととのえます。
読みたいという人がいなければ、会社にある巨大シュレッダーに投じます。
原稿はちょうど会社のロッカーの中で眠っているからです。
長々と書いてしまいました。
本当はこういう泣き言のようなことは書きたくなかったのですが、これきりにしますのでどうか寛大な心でお許しください。
たったこれだけのことを言うのに、何百日もかかってしまいました。
なお、詩集はまさかこんな重い展開になるとは思わずに書き上げたものですので、拍子抜けするくらいにただの恋の詩集です。
興味のない方は後生ですので軽く流してやってください。
明日からはまたいつもの「水面歩行」です。
by nekomachi_fumiwo
| 2007-04-17 23:58
| 猫町フミヲ