猫と相撲と文房具(ときどき野球)。猫町フミヲの妄想の日々。


by nekomachi_fumiwo
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中の人はいるか。

子どもが何か立派なことを成し遂げた場合、例えば素晴らしい詩や作文を書いた場合、「きっと大人が手を貸したのだろう」などと言うむきがあるが、はたしてそうだろうかとしばしば思う。
もちろんその作品の素晴らしさにもよるが、大人だからって魔法のスティックを振るようになんでもかんでもできるわけじゃない。

もう昨年のことになると思うが、朝日新聞に子どもの作文が載っていた。
何かのコンクールの優秀作品で、すでに大きな賞を受賞した作品ばかりが載っていたのだが、その中のひとつが爆発的によかった。

一読してその内容に純粋に泣いた。
信じられないような気持ちで読み返して、その完璧な構成に震えた。
それは以前自分が詩を書いていた時に好んで使っていた構成に似ており、自分好みということもあったが、それ以上に洗練され、アクロバティックでさわやかだった。

構成だけではない。
文章自体の軽やかさも目を見張るものがあった。
余計な言葉がいっさいなく、それなのに状況がはっきりと理解できる明快さがあった。
ああ、こんな書き方があるんだと圧倒された。
何より明るさと品があった。

これは本当にこの少年が書いたものであろうか、とそこに載っていた少年の写真をまじまじと眺めたが、その少年が書いたものだと信じた。
もしこれが親が書いたものだとしたら、その親は何をやっているんだと心底思う。
文章を書く人として世に出ていなければおかしいからだ。
先生の場合もしかり。
これほどの文章を指導できるなんてただごとじゃない。

おおげさだなと思われるかもしれない。
が、私は文章には厳しい。
自分を棚に上げて厳しい。

まず誰かの文章を読んでここまで思ったことはこれまでなかったし、その受賞作品のページもくまなく読んだが、あとは「子どもらしさを残した優秀な作文」の域を出ていなかった。
生意気な話だが、例えばプロの作家がちょっとしたエッセイを載せているのを読んでも、文章の下手さや内容の薄さや構成のダサさが気になるような私だ。

ちなみに子どもだからということでサービス点は加算していない。
少々ひらがなが多かったので、ブラインドで読まされると作為を感じてまた違った印象を持ったかもしれないが、それでも素晴らしさには気づけたと思う。

長くなったが、何が言いたいかといえば、「中の人」がいない場合もあるのではないかということだ。
純粋に子どもがすごいものを生み出すことだってあるだろう。
大人が手を貸せば素晴らしいものがつくれるなんて傲慢なことだ。
現に私は十分な大人だが、ここまですごい「中の人」になる自信がない。

すぐに「中の人」を疑うのは信じたくないからだ。
自分を脅かすほどの才能を子どもが持っているはずがないと。
かつてはみんな子どもだったのに、もし自分がそうやって認められないと悔しくて泣きじゃくったはずなのに、なんだか変なことになるもんだ。

件の少年の作文を私は今も大切にとっている。
そして時々読み返し、そのたびに泣いて、震えてしまう。
そのただごとじゃない才能がその作文のための一瞬のきらめきでも、私はその少年を尊敬する。
いつかその少年に手紙を書きたいと思いながら日が過ぎていく。
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by nekomachi_fumiwo | 2013-09-25 23:59 | 日記