無に向かって。
2009年 12月 07日
いろんなことを考えると悲しくて、昨夜は固まったみたいになって過ごした。
私は何がしたいのか、どこに行こうとしているのかという問いは、同時に私自身に欠けているものがあまりに多いことを突きつける。
理屈から言えば、欠けている部分を頑張って補って、少しでも楽に生きていくしかないのに、ぐずぐずとしてしまう。
頑張っても補えないことがあることを知っているからだ。
「最終地点は思い出と無が待ち受けてるから後悔しないように今を楽しんで」とは先輩の弁。
今を楽しめているかどうかはよく分からないが、この「最後に思い出が待ち受けている」というのは、分かりすぎる感覚だ。
私が幼い頃から書くことにこだわって来たのも、自分の思いや記憶を整理し、凝縮し、脳内の貯蔵庫に貪欲にすきまを作る必要があることに気づいていたからだと思う。
無に向かってわれわれは生きる。
毎日が思い出作りだと思えば、少しは霧が晴れたようにそれらを楽しむことができるのだろうか。
私は何がしたいのか、どこに行こうとしているのかという問いは、同時に私自身に欠けているものがあまりに多いことを突きつける。
理屈から言えば、欠けている部分を頑張って補って、少しでも楽に生きていくしかないのに、ぐずぐずとしてしまう。
頑張っても補えないことがあることを知っているからだ。
「最終地点は思い出と無が待ち受けてるから後悔しないように今を楽しんで」とは先輩の弁。
今を楽しめているかどうかはよく分からないが、この「最後に思い出が待ち受けている」というのは、分かりすぎる感覚だ。
私が幼い頃から書くことにこだわって来たのも、自分の思いや記憶を整理し、凝縮し、脳内の貯蔵庫に貪欲にすきまを作る必要があることに気づいていたからだと思う。
無に向かってわれわれは生きる。
毎日が思い出作りだと思えば、少しは霧が晴れたようにそれらを楽しむことができるのだろうか。
by nekomachi_fumiwo
| 2009-12-07 10:03
| 日記